




私



ここのところ、家の建て替えの関係で片付けばかりに集中していたので、
ちょっと精神的にも疲れていたので、ちょうど良かったかな

家からすぐ近くのところで、栗の木に実を付けていました・・・。

最近、朝晩はだいぶ涼しくなってきて秋


体にとっては、凄く楽でいいんですがね・・・・。


歩いていると、ついつい花が咲いていると写真を撮っちゃいますね。

鳳仙花にゆり・朝顔などが目に付きました。


そして、いつもの川沿いには黄花コスモスが綺麗に咲いていました。

いつもウォーキングをしていると、花に癒される私です。


門前仲町と言えば、成田不動尊と富岡八幡が有名ですが、
今日は暑かった

しました。

富岡八幡様は、そろそろお祭りのようで、この界隈の方々は
楽しみにしているのでしょうね


とても立派な神輿が飾ってありました。

そしてここは、お相撲の歴代の横綱と大関を奉っているのか

よくわかりませんが、石碑があります。

良く見えないかもしれませんが、巨人力士の身長ほどある石碑
もあります。


今回訪れてはじめて知ったんですが、ここ富岡八幡様に
ゆかりが深かった伊能忠敬さんの銅像がありました。

伊能忠敬さんは、日本の測量で有名ですが、北海道(蝦夷)から
行ったようですが、戻ってきていろいろな所へ行くにあたって、
一度ここへ戻ってきて、富岡八幡様へ来ていたようで・・・・。

地図・測量・土地家屋調査士・伊能忠敬研究会の関係者が中心となり
広く一般からの浄財を公募して建立されたものと書かれています。

ざっと通り過ぎた富岡八幡様ではありますが、結構観るべきところは
ありましたね。

少し早く着きすぎてしまったので、時間調整で高輪あたりを
ふらふらと30分ばかり歩いていたら、お寺と言うんですかね


右端にある石碑には「最初のイギリス公使宿館跡地」と書かれていましたが、
調べてみたら、「東禅寺」慶長14年(1609年)、伊東祐慶が嶺南崇六を開山に招聘して、
現在の東京都港区赤坂に創建した。
寛永13年(1636年)、現在地に移転。眼前に東京湾が広がることから海上禅林とも呼ばれた。
幕末の安政年間(1855年 - 1860年)以降、当寺は西洋人用の宿舎に割り当てられた。
安政6年(1859年)には日本初のイギリス公使館が当寺に置かれ、公使ラザフォード・オールコックが駐在した。
文久元年(1861年)、攘夷派の常陸水戸藩浪士によって寺が襲撃される(第一次東禅寺事件)。
オールコックは難を逃れたが、書記官らが負傷し、水戸藩浪士、警備兵の双方に死傷者が出た。
翌文久2年(1862年)には護衛役の信濃松本藩藩士伊藤軍兵衛によって再び襲撃され、
イギリス人水兵2名が殺害された(第二次東禅寺事件)。
と言うことで、昔からイギリス人とのゆかりの深かった地なんですね。
今年はロンドンオリンピックですし・・・・・・。

三重塔や鐘などもありこんな大都会にこんな広い敷地が、品川界隈には
いっぱいあるようです。

自分を戒めようと思い、いい文章を

「生きる目的がはっきりしていれば、どんな試練も堪えられる。
生き甲斐さえある。」と・・・・。



へ行き、ウォーキング

大型バスの団体さんもいっぱい来ていて、大混雑をしていました。


この写真は、スカイツリーショップでお土産を買い、会計

様子です。どこのお土産屋さんもこのような会計待ちの行列でした。


スカイツリーの中から、周辺の様子を見てみると、周辺ですら人だらけ

団体さんは、記念撮影

バックに、記念撮影をしていました。


下のほうには、ソラカラちゃんのキャラクターと日付が入っていました。
いい記念になりますね。


私自身も初めて長時間ソラマチを見ましたが、空いていれば
かなり面白い専門ショップみたいなところもかなりあり、
ゆっくり観れば楽しいだろうな



中からスカイツリーの骨組みと言うんですか

したが、太さにビックリ

これだけ太ければ安全か・・・・・と


これは、デジタルでスカイツリーの周辺を見せています。
写真は動いていませんが、実際はデジタルで車・船などは、動いています。
結構、細かく作ってあります。


最後に本日のスカイツリーの1枚です。
地上に出て、スカイツリーを撮ったんですが、駅の周りも整然と
とても綺麗になっていまして、ビックリしました。
以前の下町だった頃を知っているので、驚きです。
変れば、変るもんだな―。